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浦和地方裁判所 昭和33年(わ)443号 判決

被告人 関田育弘

昭五・七・二九生 無職

主文

被告人を禁錮弐月に処する。

但し、本裁判確定の日から弐年間右刑の執行を猶予する。

訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は日本人であるが、昭和二八年五月末頃から昭和三三年六月下旬頃までの間に、有効な旅券に出国の証印を受けることなく、本邦から本邦外の地域である中華人民共和国に出国したものである。(なお、被告人は右出国に対応し、昭和三三年七月一三日同国から京都府舞鶴港に帰国した。)

(証拠の標目)

(1)  大阪入国管理事務所長作成の日本人帰国記録等に関する照会について(回答)と題する書面謄本(関田育弘に対する日本人帰国者記録写を含む)。

(2)  外務省移住局旅券課長作成の旅券発給事実の有無に関する件と題する書面抄本。

(3)  関田熊太郎の当公廷における証人としての供述および検察官に対する供述調書。

(4)  押収の退職金領収証および予告手当領収証(昭和三三年押第一四七号の一六、一七)。

(5)  東京都北区役所滝野川支所特別出張所長の住民登録等照会について(回答)と題する書面(世帯主酒巻きよ子の主要食糧配給台帳写を含む)。

(6)  被告人の当公廷における、被告人が朝鮮戦争発生後本邦から中華人民共和国へ出国した旨の供述。

(被告人および弁護人の主張に対する判断)

被告人および弁護人は、旅券法一三条一項五号は外務大臣において行政処分としてその自由裁量により、旅券の発給を拒否することができるとし、また、同条二項は右認定をするに当つて、事前に法務大臣と協議しなければならないとし、不当に憲法二二条二項に定める外国に移住する自由を制限するものであるから憲法に違反する立法であり、右規定を前提として、国外渡航の自由を制限する趣旨の出入国管理令六〇条二項、七一条もまた違憲の立法であつていずれも無効なものである。仮に、右旅券法および出入国管理令の規定が憲法に違反しないものであるとしても、本件起訴状に記載された訴因は、刑訴法二五六条三項に規定する訴因の明示方法たる日時、場所、方法の記載として、日時については「昭和二八年五月末頃から同三三年六月下旬頃までの間に」とあつてその間約五年の幅があり、場所については単に「本邦から」とあり具体的にいずれの地点で行為が行なわれたものであるか不明であり、また、方法については、「有効な旅券に出国の証印を受けることなく出国した」とのみ記載されて、その出国の方法が明示されていないので、特定を欠き公訴提起の手続がその規定に違反して無効である。また、本件被告人の出国は極東或は日本を戦争の危機から救いアジアの平和実現に努力する目的でなされた行為であるから正当行為であり、且つ、被告人の出国当時の旅券発給の状態は、文化人等に対して、すべて旅券下附申請が拒否されていたので、右のような目的を持つた被告人が旅券下附の申請をしても、到底これが認められない事情にあつたから、適法な旅券の給付を受けて出国するということは不可能であつたもので、被告人に対して適法行為にいでることを期待することはできず、本件被告人の行為は期待可能性がないものである。故に、本件起訴は無効であるか、或は被告人の本件行為は無罪であると主張する。

よつて、これらの諸点につき当裁判所は左のとおり判断する。

一、旅券法一三条一項五号、二項、出入国管理令六〇条二項、七一条が違憲であるとの点につき、

基本的人権が公共の福祉のために合理的制限に服すべきことは個人の集団たる社会全体の利益のためには、個人の利益ないし権利が場合によつて制限を免れないものであることから明らかである。従つて、憲法二二条二項に定める外国に移住ないし旅行する自由もまた、公共の福祉のためにする合理的制限に服すものであるところ、旅券法一三条一項五号は「著しく且つ直接に日本国の利益又は公安を害する行為を行う虞があると認めるに足りる相当な理由がある者」に対して旅券発給を拒否することができるものとするものである。右条項による制限が公共の福祉のためにする合理的なものであることは最高裁判所昭和二九年(オ)第八九八号昭和三三年九月一〇日大法廷判決によつて認められたところであり、当裁判所の見解もこれと同一である。また、同条二項は一項五号を受け、日本国の利益又は公安に関する事項を認定するための手続規定であつて、なんら国民の権利を制限するものではない。右のとおり旅券法一三条一項五号、二項は憲法に違反しないものであるから、すべての人の出入国の公正な管理のため同条項を含む旅券法に基いて発給される旅券の所持を出国の要件として、出国の際これに証印を受けることを要求し、これに違反する行為を処罰しようとする出入国管理令六〇条二項、七一条の規定もまた、なんら憲法に違反するところはない。

二、本件訴因が特定を欠くため公訴提起の手続が違法であるとの点について、

刑訴法二五六条三項の訴因を特定するための日時、場所、方法は日時、場所について何等の記載もなされていないときは格別、訴因に対する構成要件的評価を異にしない限り、その他の記載と相俟つて訴因を他の事実から区別できる程度に記載されれば足りるものと解すべきである。本件訴因においては約五年間の幅を持つ日時、「本邦」という広い地域を持つ場所が記載されているが、いずれもこれらの記載をより正確にしたからといつて本件訴因の構成要件的評価を異にするものではなく、検察官の釈明によれば、本件出国は被告人が昭和三三年七月一三日京都府舞鶴港に帰国した、その帰国に対応する一回の出国を指すものであることが明らかであるから、結局、本件訴因が特定を欠くということはない。故に右訴因を公訴事実とする本件起訴に何等違法な点のないことはいうまでもないところである。

三、正当行為ないし期待可能性の点について、

違法性を阻却する正当行為は刑法三五条に定められたものに限るのであつて、極東或は日本を戦争危険から救うため、即ち、アジアの平和実現のために努力する目的から本件出国がなされたということは本件犯罪の動機をいうものに過ぎず、このため本件出国が正当行為となるものではない。被告人のいうように正当な目的のために出国するというのであれば、定められた法の手続に従つて出国すべきであり、当時他に旅券下附申請が拒否された事例が多くあつたことから直ちに、法を無視して本件行為におよぶということは法治国家においては認容されない。出国をするにはまず旅券下附の申請をすべく、若し、その申請が拒否されたときはこれに対しその処分の不当を訴えて法の定める手続によつて争うべきである。たとえ、自己のものの考え方が正しいと確信しても、その考え方に基く行為が現在の法秩序或はこれに基盤をもつ国家によつて是認されない場合には、法の支配のもとに立つ民主主義国家の国民としては、当然に、その行為にいでてはならないものというべきである。

以上のとおり、被告人には法治国家の国民としてとるべき方法があるのに、法定の手続を経ることなく自己の行為が国家によつて是認せられないものであることを知りながら、敢て本件行為におよんだものであるから、被告人が本件行為を犯すについて、他に適法行為をとる期待可能性がないということはできない。そのほか、被告人が旅券の交付を受けないで本件出国をしなければならない程緊急且つ必要な事情が被告人の出国当時にあつたと認めるに足る証拠はない。

(法令の適用)

判示被告人の所為につき 出入国管理令六〇条二項、七一条(禁錮刑選択)

刑の執行猶予につき   刑法二五条一項

訴訟費用の負担につき  刑訴法一八一条一項本文

(裁判官 大中俊夫 田中寿夫 大関隆夫)

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